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新建築構造研究会の多摩川古墳群見学会

2026.10.14

令和8年度の新建築構造研究会の見学会は、ここ数年あたためてきた古墳の見学を行った。9月25日に多摩川台公園に残る多摩川古墳群、宝萊山古墳、亀甲山古墳を見学した。


古墳というと、一般には「古代の墓」という歴史的な遺跡として捉えがちである。しかし、建築設計の視点から見てみると、古墳は、地形を読み、土を加工し、大規模な形態をつくり、周囲の景観の中に配置した古代の建築・土木構造物とも考えられる。今回特に興味深かったのは、宝萊山古墳と亀甲山古墳という二つの大型前方後円墳の間に、多摩川台古墳群が形成されていることである。多摩川台古墳群は、多摩川を望む台地の縁辺部に位置し、現在確認されている古墳の築造時期は古墳時代後期から終末期に及ぶ。調査によって、従来9基の円墳と考えられていたもののうち、第1号墳と第2号墳は一つの前方後円墳であることなども判明している。


まず、宝萊山古墳に注目すると、全長約97mと推定される前方後円墳であり、武蔵野台地の南端に延びる舌状台地の尾根部に築かれている。古墳時代前期の古墳は、河川を望む台地縁辺部に築かれる例が多く、場所そのものが重要な意味を持っていたことがうかがえる。
一方、亀甲山古墳は全長約107mを誇り、多摩川流域を代表する大型前方後円墳である。現在も比較的よく墳丘の形状が残されており、国の史跡に指定されている。この二つの大型古墳の間に、後の時代になって多摩川台古墳群が形成されていることを考えると、ここは単に「墓が集まっている場所」ではなく、長い期間にわたって地域の人々が利用し、記憶を積み重ねてきた一つのランドスケープとして見ることができる。建築的に面白いのは、「建物を建てる」のではなく、土地そのものを建築化している点である。


古墳の墳丘は大量の土を盛り上げて形成される。また、前方後円墳という形には、単なる構造的合理性だけでは説明できない強い象徴性がある。遠くから見たときのシルエットや、台地と多摩川との位置関係を含めて考えると、古墳は「建築物」だけで完結するものではなく、周囲の自然や地形を含めてデザインされた景観装置だったのではないかと感じた。さらに、多摩川台古墳群の小規模な古墳を見ていくと、巨大な前方後円墳だけがこの場所の価値ではないことに気付く。大規模な首長墓から、後の時代に造られた小規模な円墳へと変化していくことで、社会構造や権力のあり方の変化まで、土地の上に「形」として残されている。
構造設計の立場から特に興味を持ったのは、古墳内部の石室である。石を組み合わせて空間をつくり、その上に重量のある石を載せるという構造は、現代の建築とは材料も施工方法も異なるものの、「材料の特性を理解し、力の流れを考えながら空間を成立させる」という構造設計の基本的な考え方につながっている。


今回の見学を通して、古墳は「古代の墓」という一つの用途だけで捉えるのではなく、敷地計画、ランドスケープ、形態、構造、施工、材料、景観、そして社会的な象徴性が一体となった総合的なデザインとして見ることができると感じた。特に、宝萊山古墳、亀甲山古墳、多摩川台古墳群を一連の空間として歩いてみると、古墳一基だけを見学するのとは違い、「なぜこの場所に、この大きさで、この形がつくられたのか」という問いが生まれてくる。約1,500年前の人々がつくった「土の建築」を歩きながら、現代の建築設計においても、建物だけではなく、土地・構造・景観を一体として考えることの大切さを改めて考えさせられる見学会となった。